最後は死が訪れようとも

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僕の精神が決して強固でないのは、自分でも分かっているし、全ての人がこの言葉に耐えられるとは思っていません。   他人の人生に必要以上に干渉してはいけないのは、たとえ親と子の関係であっても尊重するべきだと考えます。   私は自らの意思で、十分な情報を与えられて、それでもなおかつ神を信じたい。というならば、今までは間違いを犯してきたけれども、干渉してはならないと考えを改めました。   だから、他人の心や人生に対して、干渉が過ぎるという事があってはならないし、情報を与えるならば、特にそれがメンタルに関わることである以上、複数の情報を与えて欲しいと願います。   コーランと聖書を読んだけれども、私は聖書を信じたい。という人間に、残念ながら一度も出会っていません。   私はコーランには触れていないが、聖書を少しは読み、そして、リチャード・ドーキンスに触れました。   そして、聖書を棄て、リチャード・ドーキンスを求めたいと思ったのです。仮に彼が信じるに足りないと確信した場合は、彼の説をきっぱり棄てます。   よって、私の死後は天国は待っていないから、今を精一杯生きることだと考えます。   死後の世界を考える必要があるほど、私には若さがない訳ではない。   バートランド・ラッセルは1925年のエッセイ「私が信じるもの」で次のように述べています。
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