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 武生は、そそくさと、未だ笑い収まらぬ妻を放っておいて、書斎被れのような自分の一室に行き定位置に座る。そして、ただ筆を走らせる。横には、広辞苑、和英辞書、英和辞書。更には、漢字辞典。いかにも古い、昭和の空気であった。パソコンでも使えば、これよりもっと効率的に出来るのだろうが、何しろ、武生はパソコン等使えない。もちろん、パソコン教室に通える程の金も無い。一応、家には知人から譲り受けたウィンドウズ九十八があったのだが、武生は或る意味では、小さな机に胡座をかいて、筆を取っている自分に酔っていたのかも知れない。  しかし、武生はここで長考に入る。やはり最後のまとめ、これが中々上手く書けないのだ。武生は少しばかり焦っていた。元々、無学者の彼である。筆が止まるのは毎度の事で、何時もなら別段気にも留めず、自分を卑下してそこで終わりなのだが、今回はそういう訳にも行かないのだった。何故なら、失業手当ては今月で切れ、来月からの事を考えると、流石に妻の給料だけでは心細い。武生は、一時期は毎日のように職を探していたのだが、いよいよ第二の世界恐慌の呼び声高く、ハローワークには連日長蛇の列で、いっそのこと、アメリカがどこぞと戦争でもしてくれなければ、挽回の余地なし、仕事など一向に決まらないのである。  そこで、武生は考えた。沈思黙考した。そして、四年も前から趣味で書いている小説に思い当たったのだ。もしも賞などを取れれば、賞金は出るだろうし、プロの作家への手引きもしてくれると云う、そうすれば、嫁の父親にもふんぞり返って会えるだろうし(聡子の父親は、この頃武生の奔放さに、目に余ることを感じ、ことある事に酒を呑んでは、「お前には、聡子を任すことはできん」、と言っては連れ返そうとするのである)、作家になってからの苦しみなどそっちのけで、青写真を描いているのである。
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