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グレッチェルは、背広のポケットから白い手袋を取り出すと、それの嵌(はま)った手で、アスファルトに乾いて張り付いた血液と脳漿(のうしょう)をスッとなぞる。
「これは‥酷いですね…。」
そう呟くと、グレッチェルは手に持ったシートを伏せた。
そして、しゃがんだ姿勢のまま、そのシートの膨らみを見下ろす。
『酷い』。
たったの一言。
それは彼の素直な感想であり、それ以外にシートの下に埋(うず)まるそれへと、他に言いようが無かった。
「そ、ですね…。」
隣りで同意を示した青年の顔は青白く、その表情から察するに、彼にとっては、余程悪いものでも見てしまったらしい。
今にも、胃の内容物を戻してしまいそうだ。
グレッチェルは、名前は忘れてしまったものの、確かに己の部下である青年へとハンカチを差し出した。
「大丈夫ですか?」
「はい…。
ありがとうございます。」
ハンカチを断りながら、大丈夫だと答えたものも、青年の手袋の嵌(はま)った手が彼の口元を離れることはない。
「このくらい慣れなくちゃいけないんで。」
強がりとしか取れない前向きな発言に、グレッチェルは曖昧に微笑み返した。
弱々しい笑みを浮かべた彼が慣れるのは、一体何時(いつ)になることやら。
そんな日が訪れることなど、一生ないのかもしれない。
この光景に慣れてしまった自分の方がおかしいということは判ってはいるものの、グレッチェルにはどうにも心許(もと)ないよう思われた。
グレッチェルは、青年を独り取り残し、立ち上がった。
彼の目の前で、制服を着た二人の男が運んで来た担架に、シートの下に在ったそれ…今回の被害者である男の遺体が乗せられ、運ばれて行くのをグレッチェルは無言で見送る。
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