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高層ビルが密集したオフィス街から一回り離れた下町に、円香の住むアパートがある。
だがソレがどんなものかと言えば四部屋かつ二階建てという、金に困った成金が小遣い目当てで貸借してそうな小粋なアパートなのだった。
「ただいまぁ」
その住居の一つ、誰のでもない部屋には、いつも通り帰りを待つイツキさんがいた。
「あぁ、おかえり。ちょっと待ってろ、塩もってくる」
煙草を慣れた手つきでくわえるイツキは、いつも通りクールビューティな振る舞いのまま円香に視線を送る。
「とりあえずお疲れ様だ、円香。
感想は?泣きたきゃ泣いていいぞ」
「な、泣きませんってば!
もう、いつも皆でそうやって子供扱いして…」
「される内が華だ。世間で大人になるとな、どいつもこいつも無駄な意地はって人に頼れなくなるからな」
パラパラと清めるように塩を撒きながら、イツキは淡々と呟く。
彼女が話すとありふれた言葉がより一層重く伝わる気がして、思わず円香も神妙になってしまう。
「…大変、なんですか?」
「死ぬほど大変だ。だから酒飲んで煙草吸っていいんだよ、私達は」
「ふふ。そういえば今日、マリさんとお酒飲む約束しちゃいました」
「なに、そうなったらナギのやつも誘ってやるか。いやそうすると――――あぁ、そんなのはどうでもいい。
円香、お前の友達から電話が来ていたぞ。あと贈り物もな」
「え、紗夜ちゃんから?」
急に会話が変わって目を白黒させる円香に構わず、イツキが更に言葉を続ける。
「あの宅配屋の態度の悪さと言ったら…あとなんか魚みたいな面構えが気にくわん。今度見かけたら根性焼きしてやる」
「い、イツキさん…流石にそれは不味いかなぁって」
「そうか?まぁ、いい。
とにかく、友達と連絡したら今日はもう休みなさい。
明日は明日で別の仕事があるんだろ?」
「うん、ありがとう」
明日は大学の帰りに叔父さんの屋敷で書物や董品の整理をしなければならない。
このまま放置しておいたら遺産配分とかで、家族でもない人に叔父の思い出が持ってかれてしまう気がして…円香にとっては、それはとても良くないような気がするのだ。
「じゃあ私は戻りますね。イツキさん、また明日」
「あぁ、また明日」
つまらなそうに手を振る彼女を残し、円香は出口の戸を開けた。
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