信秀の決断

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戦いの傷も癒え始め、道三との同盟も果たした天文18年(1549年)、信秀の元へ書状が送られて来た。 信広の処遇が気になっていた信秀にとって、こういった事には非常に敏感になっていた。 松平の間者から書状を受け取ったのは、織田家の重臣で後に筆頭家老ともなる柴田勝家だった。 勝家は重臣ではあるが、活動的な彼は武力でこの地位を築き上げた。 書状を受け取った勝家は、一目散に信秀の元へと届けに行った。 「殿! 松平の間者が書状を届けに来ましたぞ!」 「真か。 よし、拝見しよう」 その書状に書いていた事は、信秀にとって飲まざるを得ない状況だった。 広忠や義元も、信秀は必ず飲むと確信していた。 信広は松平家の人質となっており、竹千代との交換を望むというものだった。 信秀は暫くその書状に見入り、勝家初め家臣達は神妙な面持ちでそれを見つめていた。 「殿、して、松平は何と……?」 「……竹千代を、信広との人質交換に差し出せとの事だ……」 「しかしそれでは……」 この事に懸念を示したのは、信長の一番家老を命じられた林秀貞だった。 秀貞は、教育係の政秀と上手く連携を取り、信長の指南に努めていた。 だが信長はいつも一枚上手で、ほとほと困り果てていた。 「秀貞、何かあるのか?」 勝家は秀貞に向き直り、秀貞に問いた。 秀貞も勝家に向き直ると、自身の考えを述べた。 「勝家殿、竹千代君は大切な人質です。 その竹千代君を返すとなると、これからの攻勢に支障が出るのではないかと……」 「ならお主は、信広様が松平に斬られても良いと申すのか?」 「そう申している訳ではありませぬ。 ただ、上手く信広様を救う手立てを考えるのが先かと」 信広は信秀の長子ながら、世間には信秀の息子とも認知されなかったと言われている。 その辺の事も考慮した上で、秀貞は一見非情とも言える意見を出したのだった。 勝家と秀貞が一触即発となる中、黙って話しを聞いていた信秀が割って入った。 「まぁ待て。 ……やはりわしは、尾張の虎と称されてもまだ甘いようだ。 信広もれっきとしたわしの子、名残惜しいが、竹千代は今川に明け渡すとする」 秀貞も、信秀の心情を考えてこれ以上の進言はしなかった。 勝家は黙って頭を下げ、持ち場へと戻った。 「秀貞、信長を呼んで参れ」 「はっ」 秀貞は座敷を出て行くと、鷹狩りを行っていた信長の元へ向かい、その旨を説明した。
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