出生

3/4
前へ
/184ページ
次へ
「簡単に人の意見に左右されるようでは、父上の御役職を引き継いだ際に自らの意志を持たない軟弱者となってしまいまする」 「そ、それもそうなのだがな……」 この頃から、吉法師の饒舌ぶりは信秀が舌を巻くほどになっていた。 息子の言葉には、ついつい納得してしまうのである。 いや、納得させられる話術が吉法師にはあったのだ。 「では、小姓達を待たせておりますので」 「こ、これ!」 このような事がしょっちゅう続くので、信秀はほとほと困り果てていた。 信秀の側近達も、この様子には苦笑するしかなかった。 吉法師の教育係を命じられた平手政秀も、吉法師には手を焼き、諌めはするもののいつも隙を突かれて逃げ出されていた。 政秀の苦労も良く分かる信秀は、政秀を厚く重用した。 政秀も信秀に忠誠を誓い、両者の信頼関係は深かったのだった。 その分、ついつい吉法師への小言が多くなってしまうが、それも仕方の無いことだった。 そんな問題児だった吉法師も、天文15年(1546年)、古渡城にて織田上総介信長と元服した。 だが奇行は止まず、相変わらずな日常が続いていた。 だが天文16年(1547年)、大きな騒動があった。 当時大きな力を持っていた大名・今川義元が、織田信秀の威圧をもって圧迫を受けた西三河の松平広忠の帰順を受けて、広忠の嫡男である竹千代(後の徳川家康)を人質に取ろうとしていた。 その護送を三河・田原城の国人領主・戸田康光が受け持ったのだが、前年に義元により一族が滅ぼされていたため、何と内通していた信秀の元へ竹千代を送り届けてしまったのだ。 手紙での内通はあったものの、やって来た康光の一隊を見た信秀は最初は警戒していた。だが、すぐに康光と竹千代を座へと通した。 康光は凛とした面持ちで信秀の前に現れると、すぐにひざまずいて頭を下げた。 「その方が康光か。 して、今川を裏切って織田につくと?」 「はい。 拙者は常々より、今川殿に忠誠を誓っておりました」 「ほう……だがここで裏切ったとなれば、今川も黙ってはおるまい。 その火の粉がわしらにもかかる場合が考えられるのだが……その辺を考慮して我が元へ参ったのか?」 「それは無論でござりまする」 動じない様子で話す康光の横には、小さく縮こまっている幼き竹千代が座っていた。 無論織田方への恐怖心もあるが、何より自らの人質という立場もよく分かった上での話しだった。
/184ページ

最初のコメントを投稿しよう!

236人が本棚に入れています
本棚に追加