平 清盛(タイラノキヨモリ)

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そんな目障りな清盛の排除を謀ったのが、院派による東山鹿ヶ谷(シシガタニ)山荘での謀議です。 後白河院と延暦寺の対立が激化して行く中、それを沈静化する為に重盛経由で清盛が延暦寺を攻撃する事に。 すると攻撃前日、多田行綱(院派)から平家打倒の謀議の密告が。 直ちに清盛は西光(院派)を呼び出し、顔を踏みつける等の拷問を行い全て自供させると、斬首に処します。 清盛は西光の供述を元に関係者を捕らえ、中心人物である藤原師高は清盛の家人により惨殺、俊寛・藤原成経を鬼界ヶ島(鹿児島)へ(後に成経のみ赦免)、藤原成親(後白河院とホ○関係。赦免されずにこの地で餓死)を岡山へ流しました。 更に後白河院が発した延暦寺座主の流刑を取消すと、この動きに延暦寺側が清盛に感謝し、事は漸く終結を迎えます。 🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀 実は、この件で一番得をしたのは清盛なんですね。 と言うのも当時の山法師(僧兵)は、件以外にも度々強訴を行っていた為、とても厄介な相手でした。 ですから件を上手く利用して、山法師の制圧と不仲な後白河院共々、院派の一掃を計った…と見て間違いはないと思います。現在、謀議の真相は裏付けされていないので。
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