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その2年後に重盛や盛子が亡くなった際、後白河院が清盛に何の相談もなく領地を没収・人事を行ったものですから、清盛はクーデターを起こして後白河院を鳥羽殿に閉じ込めてしまい、以降、2人の仲は修復不可能になってしまいました💧
前記の話からは、やはり怖い印象しか受けないかも知れませんね。平家物語でも松殿基房に対し、非道な行いをしてますし。
でも本当は、その非道な行いをしたのは常識派の印象が強い重盛で、清盛はお詫びのつもりか基房を高位の職に任命しています。
それに、若い頃の清盛は、人のどんな過ちにも声を荒げず、相手がつまらない話をしても笑顔で応対していたと言われます。
また、従者にも気を配り、従者の家族の前ではきちんとした扱いをし、寒い日には幼い従者を自分の服の裾に寝かせ、起こさぬようにそっと抜け出して存分に寝かせておいたとか。
他にも人柱廃止の伝説もあり、温厚で優しい人柄が伺えます。
平治の乱時、被害を最小限に食い止めた事や、適材適所に人を配する等、政治的手腕や軍事手腕にも長けていたようです。
熱病(マラリア)にかかり64歳で没しますが、彼が生きていたら壇ノ浦戦の勝敗は変わっていたかも知れませんね😃
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