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「おや、お早う。樹央君」
自宅のマンションのロビーに、びしょ濡れで帰って来た樹央は、時間帯に合わない明かるい声に振り返る。
そこには管理人室から四十代の女性が微笑い掛けている。
「お早うございます」
「雨の日でもトレーニングかい? 大変だねぇ」
挨拶を返した樹央に、女性は人懐こい笑顔で尋ねる。
樹央は「日課ですから」と、軽く頭を下げるとエレベーターに足を向ける。
樹央の『家庭の事情』は近所でも有名だった。
家族を捨てた父親
碌に家事もしない母親
見捨てられた息子
誰もが樹央に憐れみ、同時に敬遠する。
彼女だって変わりはしない。
同情したフリをして、心の底では嘲笑っているのだ。
そう思うと堪らなく、自分が惨めに見えて来る。
樹央は開いたエレベーターに飛び込むと、素早く扉を閉める。
そして、自室が在る階のボタンを荒々しく叩き着ける様に押し、項垂れる。
「……見るな、そんな目で見るな!
俺は憐れなんかじゃない! 憐れ……なんかじゃ……」
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