10059人が本棚に入れています
本棚に追加
「――さん…っ」
母は刀を握り締め、震える声で愛しい人の名前を呟いた。
自分の夫を残してきた罪悪感と不安が、彼女の足に絡み付いて離れない。
母親の心は、目前の闇に呑まれるように黒く、黒く沈んでいく。
いっそ、逃げるのを諦めてしまおうか。
自由を、諦めてしまおうか…。
「おかあさん…」
響が不安げに母親の服を握り、その大きな琥珀色の瞳でまっすぐに母の顔を見つめる。
「…響…」
そうだ…、今響を守れるのは自分しかいないのだ。
諦めてしまえば、この子に未来はない。
泣いてなんか、いられない。
溢れ出そうになる涙をぐっとこらえ、目前に広がる暗闇を睨み付けた。
約束の場所であの人を待とう、今自分にできるのは、我が子を守る事と、あの人を信じる事だ。
「大丈夫よ、さぁ、行きましょう」
母親は響と手をつないで目印である紅い布の巻かれた木を探す。
幸い月明かりで葉っぱまで見えるほど明るく、紅い布が探しやすくなっていた。
未だ不安そうな表情を見せる響に、母は気丈な笑顔を見せ、宥めるように頭を撫でた。
「…もうすぐだからね響…きっと自由になれる、あの人もすぐ追いつくわ」
「うん、お父さん、きっとあいつらをやっつけて来るよね」
響も健気に笑う母を励ますように、しっかりと手を握り直す。
皆で一緒に自由になるんだ。
そう心に誓ったその時、木々が少し開けた場所に、月明かりに照らされた一本の枯れた木の枝に結ばれた赤い布が、夜風に吹かれてはためいているのが見えた。
「あれは…!」
母親がそれを確認しようとした瞬間、後ろで枝を踏む音がした。
「!…誰…?!」
咄嗟に怯える響を後ろに庇い、音のした方を向く。
茂みの中に一つの影。
父親の言っていた手引きの者か、あるいは…。
「出てきなさい、貴方は誰!?」
母親は鞘から刀を抜き、影に切っ先を向ける。
そこから出てきたのは…。
最初のコメントを投稿しよう!