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サイカがアガレスの子を身籠ったという情報は、瞬く間に大陸全土に広がっていった。
当初、慰みものとして各国に認識されていた聖龍族の姫君は、このことにより更なる脅威を大陸全土に与えることとなった。
あのアガレスの血を引く子が、この世に誕生してしまう。
あの狂気の血が受け継がれていく、このようなことを許して良いのか。
世界はあまりにも残酷に、当たり前の幸せを手にしようとする二人を見つめていた。
この時、世界が己の無知に気づいていたなら……きっと。
非情の罠はゆっくりと、世界を…二人を飲み込むことはなかっただろう。
きっと……
「サイカ、動き回るな……腹の子に何かあったらどうする?」
病弱だったサイカが妊娠という転機を迎え、そのことが良い作用をもたらしたのか、アガレスが心配するほどよく動く女性へと変わっていた。
「動いた方が良いと医者は申しておった、そなたは心配し過ぎだ」
サイカは目立ち始めた腹をちらっと見てから笑顔でそういうと、手にしていた茶器をテーブルに置く。
そうして慣れた手つきで茶を煎れ、アガレスへと差し出す。
「……茶くらい、自分で用意する……じっと座っていろ」
「そなたに任せたら茶器がいくつあっても足らぬ、いくつ割ったか覚えておるかえ?」
この忠告には流石のアガレスも黙ってしまう、それはそうだろうサイカが大切にしていた茶器のほとんどを自分が再起不能にしてしまったのだ。
反省していないわけじゃない、ただ…心配で心配で仕方ない。
「気持ちは嬉しいがの、いつか…そなたが大怪我しそうで怖いのだ」
逆に身重の妻から心配され、アガレスは複雑な心境で有り得ないと首を振り、呟く。
「馬鹿な……オレが怪我などするものか」
「湯を沸かそうとして髪を焦がしたのは誰ぞ?」
今度こそ完全にアガレスの負けが決定した、何者にも負けたことのないアガレスが初めて辛酸を舐めさせられる、でもそれはアガレスにとって幸せな敗北だった。
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