蒼碧の森-Raggi di prinavera-

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大陸の大半を荒野で占める獣牙の地に一足早い春の息吹が訪れた頃、サイカとアガレスにも待ちわびていた和やかな春が訪れていた。 サイカに抱かれ、心地良さそうに眠る赤子。 音もなく世界を包み込もうと蠢く混沌など、知るはずもないその穏やかな寝顔は実に可愛らしい。 「アガレス、そやつは誰ぞ?見たところ…混血児のようじゃが?」 いつものことなのだが、アガレスは突飛な行動や言動が多々ある。 妻としてサイカは大抵のことは何も言わず、アガレスにとってはそれが普通の行動や言動で突飛という意識はないのだろう、そう理解していた。 しかし、今回は少し事情が違う。 年のころでいえば、恐らくはサイカと同じ頃の男。 その男の特徴は珍しいものだった、聖龍族の角と獣牙族の特有の証…九つの尾を持っていたのだ。 何があったのかはわからないが、この混血の男は深手を負っていた。 「名は知らぬ、生きようとしていたから連れてきた」 肩に担いでいた男をソファーへ降ろし、アガレスはサイカに視線を向ける。 複雑な気持ちがその瞳の奥にある、その理由を何となくではあるがサイカは理解した。 アガレスにはわかるのだろう、違うものとして忌み嫌われるものの痛みが。 「ほぅほぅ、手当てをしてやらねばのぅ。アガレスよ、エルトの守りを頼むぞぇ?」 「…わかった、エルトを起こさぬよう…努力しよう」 サイカとアガレスの間に生まれた新たな生命の名は『エルトシャン』、愛称を『エルト』とする男の赤子だ。 今は混血児としての特徴は見られないが、成長と共にその特徴が現れてくるだろう。 愛しい我が子を妻から受け取り、アガレスはこわれものを扱う様子で抱く。 そして自分が連れてきた瀕死の男を見、慣れた手つきで手当てをするサイカの横顔を見つめる。 「綺麗だ」 ぽつり…とそう呟き、アガレスはその場に胡坐をかいて座った。 その呟きはサイカの耳には届いていない、そのことにアガレスはほっとしていた。 彼女はいつも綺麗だ、今更…照れくさい。彼の心にはそんな気持ちがあった。
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