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直感的に振り返ることをためらった。
だが、確認しないままでいることはもっと怖い。
ぎこちなく首を動かすと、踏切と自分との間に人影はあった。
「だ……誰だよ、あんた。」
影は、彼女の問い掛けに答えることなく、ゆっくりと歩き出した。2人の距離は徐々に近付く。
影の姿が外灯の明かりの中に浮かび上がる。
羽織っているのは重そうなコートだ。目深にかぶったフードのファーは獣のたてがみのようにも見える。
6月にはふさわしくない、真冬の格好だ。
(……こいつ、頭おかしい。)
この不審者から、逃げなくては。
携帯をしまう。カバンを抱え、体の向きを変える。
すると、影が口を開いた。
「……俺は」
口以外はフードで隠れていて見えない。だが、その声は男性のものだった。
「俺は、アンタの“影”」
彼女の背中に悪寒が走る。
怖い。助けを呼ばなくては。しかし唇が震えて声が出せない。
気がついたとき、そいつは彼女の目の前にいた。影はゆっくりと右手を掲げる。
薄い唇はそっと語りかけるようにささやいた。
「言うならば、この世の“腐食”を知る存在」
女子高生の足は地面に縫い付けられたように動かない。不審者の右手から視線を反らすことができない。
「俺は──“負食者(フショクシャ)”だ。」
右手は彼女の顔の前で止まる。
彼女は目を見開いた。
───
遠くのほうで、再び警報器が鳴り出す。
赤いライトを明滅させながら、遮断機がゆっくり降りてきた。
けたたましい警報が鳴る中、女子高生と影は向かい合っていた。
「──背負わせて、すまない。」
影がつぶやき、身をひるがえす。
その言葉は警報の音に紛れ、彼女の耳には届かなかった。
そして、最終電車が通過する。
客車の窓から漏れる明かりが夜道を照らす。照らし出したのは、道路にたたずむ女子高生ひとりだけだった。
光が途絶えた後も、彼女は立ちすくんだまま動かなかった。
女子高生の携帯が震える。彼女のうつろな黒い瞳は前を見たままだが、手は慣れた動作で携帯を取り出していた。
「……もしもし、ママ?」
「由梨?今どこ?」
彼女は呆けた表情で奇妙に笑う。
「ふふ、わかんない。」
短いスカートがぬるい風に揺れる。女子高生は、何事もなかったように夜道を歩いていった。
誰もいない踏切で、遮断機は無言のまま道を開けた。
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