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翌朝、あれだけ深刻そうだった師匠は、平然と朝食の席に現れた。
もう解決してしまったのだろうか、と、肇は安心する一方で残念がった。
食事がはじまると、食器の当たる音と囲炉裏のはぜる音だけが、古ぼけた家に響いた。
肇は、黙々と箸を運ぶ師匠を、そっと盗み見た。
肇は最近考える。
師匠は、世俗を超越した賢人なのか、はたまた狭間の世界にとらわれたあわれな人なのか。
突然に、師匠が箸を置いた。
箸は茶碗に当たって、ちん、と澄んだ音を立てた。
肇が驚いて背筋をのばすと、師匠は真っ直ぐに、こちらを見ていた。
肇は慌てて茶碗を置き、居住まいを正した。
「昨日、生者が死者の世界に紛れ込んだ。連れ戻さねばならん」
粛々と師匠は言った。
「お前、行って来てくれ」
肇は、ゆっくり眼を見開いた。
「おれが、死者の世界に、ですか……?」
ようよう絞り出した問いも、他人の口を介したように心もとない。
が、師匠は、冷たいと取れるほどに、平生の調子を崩さない。
「”管理人”の御達使だ。行ってこい」
管理人とは、死者の世界の主である。
スイ師匠は交信できるらしいが、肇は詳しい事は知らない。
ただ、師匠の口振りから、逆らえるものではない、と分かった。
突然身に降りかかった変化に、意図せず、胸が高鳴った。
長い間、眠っていた好奇心が、気持ちの奥で首をもたげたようだった。
男の子は誰でも、奥底に冒険心を持っているものだ。
「行ってまいります」
そう答えた肇には、絶えて久しい、瞳の輝きがあった。
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