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「異名を持ってるってのはどういう意味だ? 土方歳三が本名じゃないのか?」
込み上げる不快感を抑え、刀悟は何とか冷静さを保ちながら問う。少女は床に胡座を掻き、何を今さら、とでも言いたいような顔をした。
「歳三などという女がいるはずなかろう。名字も土方ではない。本名を出して、女だとバレたらナメられるじゃろうが。土方という名字は私が、歳三という名は近藤が考えたのじゃ。無論、本名は違うぞ」
刀悟は絶句する。確かに、近藤や沖田といった他の隊士の名字と比べると、土方という名字は確かに珍しい。しかし、まさかそれが偽名だったとは、夢にも思わなかった。
「じゃあ、本名は?」
矢継ぎ早に問う。『土方歳三』が本名ではないというのは、未だに受け入れがたい事実のままだが、そこにこだわっていては前に進まない。
本名は、スチュワードの力を引き出す為に必要不可欠なアイテムの一つである。スチュワードが身勝手に暴走しないための枷のような物だ。また、使役させるにしても、本名以外では拘束力が著しく劣る。
使い道を知っているからか、土方は少々悩んだようだ。しかし、数十秒ほど経つと、髪の毛を揺らしながら大きく頷いた。
「仕方ない、よいじゃろう。隠し事が苦手な性分じゃからな。百花繚(モモハナメグル)じゃ。お前は?」
「冴木刀悟、だ」
「トウゴ? 珍しい名じゃな。綴りは?」
「刀を悟る」
刀悟の名、そしてその漢字を聞くと、一瞬の沈黙を挟んでから彼女は年相応に笑った。張り詰めた糸のような緊迫感、鬼の副長の威圧感はもうない。
が、笑われた事は不愉快だったらしく、刀悟は少し表情を曇らせて形式上反論した。
「人の名前を笑うなよ。失礼だぞ」
「はは、悪い悪い。あまりに大仰な名だったのでな。じゃがその名、気に入ったぞ、刀悟。力を貸し与えてやろう。感謝するのじゃ!」
全く声音から怒りを感知できない反論を一笑に付すと、土方――もとい繚は、右手を刀悟の眼前に差し出す。思いの他小振りなその手を、刀悟はしっかり握り返した。
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