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ねえ? どこまで行くの?
澄んだ少女の声が不思議そうに訊ねた。
「『真珠の歌う岬』までだよ」
黒髪の少年が答える。
貴方は、誰?
少女の声が恐れもなく訊ねた。
「ボク? ボクは皆に『伯爵』と呼ばれてる」
少年が歩く度に足元からシャラシャラと微かな音が聴こえる。
歩調に合わせて鳴るそれは、どうやら彼が踏みしめる地面の音らしい。
綺麗な音だわ。
感嘆したように少女が呟いた。
「そうかい? 真夏に咲いた水晶花の花びらだよ」
風が、吹いた。
薄く、赤い、水晶で出来た花びらが、一斉に暗い夜空に舞い上がる。
……綺麗だわ。何故、光って見えるの?
「君はそんなことも忘れてしまったんだね」
哀しげに伯爵が呟いた。
私は、知っていたの?
「ああ。君は彼らが何故輝くか、ボクよりよく知っていたよ」
足を止めて黒いマントを風に預けていた伯爵は、少女を抱いたまま空から目線を下げる。
そのまま腕の中の柔らかな少女の金色に、愛おしげに口付けた。
「さあ、行こう。そんなに遠くはないから」
舞い上がった赤い花びらが、ひらり、ひらりと舞い落ちる。
「彼らが何故、輝くか思い出してごらんよ」
無理だわ。私は私が誰かもわからないんだもの。
「なら、ついでに自分のことも思い出せばいい」
簡単に言わないで。貴方にはわからないわ。
少女の言葉に、伯爵は首を傾げる。
「君が君をわからないなら、ボクに君がわかるわけないだろう? なんせ自己紹介もしてもらってないんだから」
片眼鏡(モノクル)を掛けている右目を微かに意地悪そうに眇めて伯爵が笑った。
貴方、意地悪だわ。
「そうかな」
そうよ。
「こんなに優しい紳士的な生き物を、ボクは他に知らないよ?」
それなら、貴方が無知なんだわ。
「…ふむ。違いない」
(やれやれ女性にはかなわない)
伯爵は片眼鏡の位置を指先で直しながら、わずかに苦笑した。
外見年令に不相応に見える大人びた笑い方。
洗練された物腰はなるほど、彼の呼び名に相応しく大人顔負けな完成度だ。
ブーツのたてるシャラシャラという微かな音がやんだ。
「この『夕顔の林』を抜けたら、『真珠の歌う岬』だよ」
暗い林に、夕顔が咲き乱れている。ほのかに、甘い香がした。
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