私の病気について~障害児の親になるという事~

7/26
前へ
/1036ページ
次へ
そして、私は、浅田先生に文句を言われないように、仕事に没頭するようになりました。 はっきり言って、家庭、華乃は二の次でした。 義理母に、 「仕事にかまけすぎ。」 と怒られたのは、この頃です。 浅田先生はさっさと帰っても、私は華乃を連れて残業しました。 華乃が病気の時は、義理母に預けて残業しました。 しかし、義理母は、膝が悪くなってきたことと、私があまりにも毎日夜遅いのにあきれて、とうとう華乃を預かってくれなくなりました。 …それでも私は、浅田先生を恐れて、夜遅くまで仕事を引き受けていました。
/1036ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2726人が本棚に入れています
本棚に追加