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――ここに来なかった間、頑張ったからね。
彼女は嬉しそうに、眩しそうに笑う。最後にしよう、という決心が揺らぐ。心臓を掴まれたような痛みを覚える。
「大丈夫。アンタはイカロスにならないよ」
親しい異性の友人や、ましてや恋人同士でもない。名前も、クラスも、彼女の交遊関係のことも知らないのに、彼女の傍は何よりも大切で、大事な居場所だった。ここで交わした他愛のない話の一つひとつにすら、愛着が湧く。ここで共有出来た時間の全てを、愛している、と言える。
――励まし?
寂漠をごまかすように尋ねると、彼女は不器用な笑みを浮かべた。もしかしたら、彼女も泣きたいのかも知れない。強がりだから、泣けないのだ。
「かもね。好きなように受け取るといいよ」
言って、彼女は立ち上がった。僕より低い位置の目線は、普段より潤いを帯びて、僕をじっと見つめていた。濃茶の瞳の中心で、小さく円を描く瞳孔の中に、特徴もない顔立ちの僕が、困ったように眉を寄せている。複雑に絡み合った感情の全てを、丁寧に、一つひとつ解きほぐす作業をする間、僕と彼女は無言だった。そうして絡まった感情の中央のものを見つけると、互いに自然と、言葉を交わしていた。
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