イカロス症候群

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 彼女の返事はそれきりで、僕と彼女の間には沈黙が広がった。校庭では体育祭の練習が行われているのか、賑やかな声が聞こえる。互いに名乗らないまま話を続けていたから、今更名乗っても、不自然な気がした。  僕は話題を模索して、足元のコンクリートを見る。答えは落ちてなどいない。 「アタシね、退屈なこと嫌いなんだ」  真面目だと判断した自分の前言を撤回しながら、僕はゆっくりと顔を上げる。そこにいたのは、相変わらず同じ姿勢で、微風に黒髪を揺らしながら遠くを見ている、彼女のくっきりとした横顔だった。眩しげに細められ、伏せられた目を、長い睫毛が縁取っている。化粧している様子はない。  ――授業が退屈なんて、贅沢な身分だね。  僕は来年の今頃に迫った受験戦争で、勝ち残れそうもない成績を取っていた。素直に出た厭味に、彼女の苦笑が零れる。 「ただじっと椅子に座って、先生の話聞いて、体の一つも動かせない。つまんないと思わない?」  ――僕はノート取るのに必死だよ。  彼女が不意に振り向いて、僕は言いながら顔を逸らす。どうして無邪気に笑っていられるのか、鬱屈した空気の教室に慣れた僕には、まるで理解が出来なかった。年頃になると、人は世渡りを身につける。環境に適応して生き抜く術がなければ、負け組になるだけだ。僕は、勝ち組になりたかった。
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