前書き と 読者様へのお願い

2/2
96人が本棚に入れています
本棚に追加
/83ページ
  【1943年12月6日 迄のあらすじ】    [S07号車 レッシュ車輌] ★1943年11月22日 被弾し 負傷した、ウィルヘルム砲手、ベッカー装填手、レッシュ戦車長の三名は、 戦線に復帰した。 ★アーベルハイト通信手は、片腕を失い 本国へ送還された。 ★ユンカーシューレ (SS士官学校) を希望して 職務怠慢をミヘル (ヴィットマン)に 注意され 入校を延期されて居た ペッター操縦手は‥ 戦死して 遺品は家族の元へ送られ 遺体は、 現地に埋葬された。 ★レッシュSS曹長は、ミヘルの S05号車を引き継ぎ ミヘルは、中隊指揮車輌だった S04号車に搭乗する事なった。   [ライプシュタンダルテは‥] ●※Leibstandarte‐Schutz Staffel‐Adolf・Hitler (略=LAH)は、 1943年11月19日 正午過ぎに FA (野砲) 砲撃で搭乗車輌が直撃弾を受けて 戦死した、 SS第1連隊長 シェーンベルガーSS中佐に代わり 本国の指名で‥ ●§ヨワヒム・パイパーSS少佐が受け継ぐ事になった。  ●※=ライプシュタンダルテ 親衛隊 アドルフ・ヒトラー の ドイツ語です あしからず。(直訳=親衛アドルフ・ヒトラー突撃隊)   【Leib】   生、生命、英語のLifeと同意   【Standarte】   ドイツ軍組織、突撃連隊等の俗称  ●§=シェーンベルガーSS中佐 戦死で 資料に寄っては、パイパーSS少佐ではなく、マックス・ベェンシェSS中佐が引き継ぐ、資料も有りますが‥  ベェンシェSS中佐は‥この時点では 既に敵の捕虜になって居る 資料も有ります。   ミヘルが騎士十字勲章をパイパーSS少佐から授与された 記録写真が有り 又、パイパーSS少佐の方がつじつま合いますから‥ 著者の権限で パイパーSS少佐を 戦車連隊長指揮官としております。 ●ブルシロフ周辺の攻撃は、稼働車輌の低下 泥濘で 身動きが出来ず ブルシロフ包囲戦は 出遅れた形となり‥ LAHの攻撃は‥失敗に終わった。   ●ミヘル達は、新しい指揮官 ヨワヒム・パイパーSS少佐の指揮下で 活躍する事になった。 ●ジトミール⇔コロステン街道は ベルディチェフより 更に※約90Km北部に有った。  ※=地図は 俺等の部屋 ヴィットマン博物館Ⅱ  7、8頁に記載。 ◆では あらすじも終わり‥ パイパーSS少佐 指揮下での 第1 SS 戦車連隊 を御覧下さい。
/83ページ

最初のコメントを投稿しよう!