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昇が曲がった角を入ると、走り去る背中が小さくなっていくところだった。
慌てて追おうとして、伸一は足を止めた。
1人の男性が、呆然と立ち尽くして昇の背中を見送っていたからだ。
「何かあったんですか?」
どこかまた角を曲がったのだろう。
既に姿が消えてしまった先を見つめながら、伸一は笑顔で背広姿の中年男に近づいた。
男は面食らった風情で首を左右に振った。
「さぁっぱりだねぇ。オレの顔見るなり、『うっぎゃ~!』だよ。こっちだって『うっひゃーっ!』だっつーの」
真顔で語る男の言葉に、思わず吹き出しそうになる。
この男が一体どうしたというのだろう。
見たところ普通のサラリーマン。
成金でもホームレスでもなさそうだ。
「お知り合いとか?」
「いんや!」
そこで伸一はハタと気が付いた。
「……おじさん、それ、最初から吸ってた?」
「は? こいつか? いんや、さっき火をつけたばっか」
親指を立てた右手の人差し指と中指の間で、煙草が煙を漂わせている。
「もしやライターで? さっきの人のすぐ前で?」
「ライターで。さっきの人とすれ違う前に」
まるで棒読みのように、いちいち頷きながら答える。
ということは、もしかして……。
いやでも、ライターの火を見ただけであの絶叫……?
……そこまで酷いとなると、職場に普通に存在する事自体、難しいんじゃない?
あ、そういや今日は平日じゃん。あの人仕事はどうしたんだ?
……。
湧き出る疑問の答えも出さずに、伸一は思考回路を断絶した。
あ。
暑い。
もう帰ろう。
ここで俺が頭抱えても仕方ないや。
帰宅してスペシャル援軍に助力を頼もう。
まだ突っ立っているサラリーマンに、「じゃ」と頭を下げて踵を返す。
何が何だか分からず放置された男の視線を背中に感じながら、伸一はフラフラ元来た道を戻って行った。
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