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仰げば尊し。
3月1日。
廊下ですれ違うたびに、こっそりと視線で追いかけた彼の後ろ姿。
いつも猫背気味だったそれは。けれど今日は違った。
凛とした背中。
彼の旅立ちを祝う言葉を、たったひとことの「おめでとう」を。
言えるだろうか。
2年間。
一度も振り返ったことのない背中に、声をかける勇気をください。
「やっぱ泣くひととかいんのかなー。あっ。女の先輩とかは泣いたりすんのかな」
「さあ‥しないんじゃない」
たかだか高校の卒業式で泣くひとなんてそういないだろうと思う。
しかもうちの学校といえば、とくに部活に力を入れているわけでも、有名な進学校なわけでもない、普通の学校だ。
生徒も教師も、ただ毎日を決められたとおりに進めていくだけの、普通の日々。
その積み重ねの普通の3年間に、涙ぐむようなことがあるだろうか。
隣から、中丸のそうだよなあなんて暢気な返事が聞こえて。
そうだよって小さく返した。
この日々に、涙ぐむことなんて。
教室に入ってきた担任が、いつものスーツにアイロンをかけたのだろう皺のないジャケットを身につけて、卒業式の流れを簡単に説明した。
式の最中は私語を慎むようにとか、そんなような内容だった気がする。
たいしたことはない。
3年間通えば卒業する。
それだけのことだ。
短いホームルームを終えると、廊下に並んで体育館に行くようにいわれた。
2年生と3年生の校舎には、間に中庭がある造りになっている。
そこにはベンチが二つだけ設置されていて。
休み時間になると決まってそこに彼は座っていた。
彼を囲むように、芝生にはいつも彼の友達たちが何人か座っている。
彼はいつだって中心にいるひとだった。
高校入学から数日して、移動教室で中庭横の廊下を通りすぎようとしたとき。
背後でボールがバウンドした音が聞こえて振り向いた。
「あーっ中村!そのボールよこせ!」
「赤西先輩、俺中丸っす!!」
「ああ?!うるっせえ、覚えられっか中島!!」
「な、か、ま、る、ですっ!!」
「は、な、ま、る、かっ!」
その延々と続くやり取りにくだらないと思いながら、教室へと踵を返した。
初めて彼を見たその時の印象は。
くだらないとか、子供っぽいとか。
そんな程度だった。
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