我が家の戦争

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祖父母。 我が家は、父方の祖父母と、既に30年近く争っている。 とは言え、俺にしてみれば、つい最近までは争っている事すら知らなかった。 と言うのも、俺は祖父母からすれば「初孫」らしく、生まれた当時は可愛がられていた“らしい”。 “らしい”と言ったのは、俺には可愛がられた記憶なんて無いからだ。 俺の記憶にある祖父母との記憶と言えば、祖父と一緒に行った川で、弟が溺れ…弟を助けようと俺まで溺れて死にかけた事や、祖父が他界する前…。 「爺ちゃん、分かるか?」 そう問い掛けた俺の言葉に、意識が朦朧としている祖父が笑った事くらいだ。 強烈に覚えているのは、それくらいで…。 1年に数回は会っている祖父母なのに、他はあまり記憶に残っていない。 今になって聞いた話だが、俺が生まれ、弟が生まれ、従兄弟が生まれ…。 幼い子が現れる度に、祖父母の興味は、その幼い子へと移っていったらしい。 すると、次第に俺と弟への興味は無くなり、変わりに少しずつ大人びてくる俺達兄弟が嫌いになっていったようだ。 祖父は俺達兄弟が来ていても、従兄弟の話しかしない。 祖母は、俺達兄弟の目の前で、俺達の母に向かって、 「アンタの子供は可愛くない」 そう話していたそうだ。 俺は、そんな事を言われた記憶がないが、母や父はその言葉を今も覚えていて、その言葉を吐いた祖母を今も許せずにいる。 でも、そんな我が家は“長男の家族”だ。 年始の挨拶や親族の催しには、必ず参加しなければいけなかったらしく、行事には参加していた。 だが、この行事の間も、俺の両親は大変だった。 母は料理を作るためだけに呼ばれる、体の良い「お手伝い」。 父は、幹事や他の兄弟、親戚との「連絡係」。 行事の度に呼び出され、働かせるだけ働かせ、ろくに食事も出来なかったらしく、母に関して言えば、行事の時は食事も取れずに朝から晩までずっと、台所に立ち続けていた。
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