地に足を着き、空を想う。

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東京にきてからもう一ヶ月が経ちます。生活にはもう慣れました。掃除洗濯料理、家事全般をひとりでなんとかこなしています(今日は空き缶の回収日であることを忘れていましたが)。友達ができ、授業のペースも掴み、不安は晴れて、安定の日々がはじまろうとしています。しかし、不安定なものが一つだけありました。それは天気です。3日曇り、1日雨が降り、1日晴れてまた曇る。このような天気がずっと続いています。僕は、昔は雨の日が好きでした。空からぱらぱらと絶え間なく降る水滴は人的なものを越えた何かを感じさせ、僕を不思議な気持ちにさせました。水溜りに気を付けながら小雨の中を駆け抜けるのは涼やかで気分が良かった。独り暮らしをはじめた今はというと、雨の日は憂鬱です。なぜでしょうか?それは、洗濯物が乾かないから。はやく洗濯物が乾いてくれないと、次に洗った服が乾かせません。僕の場合、パジャマが二着しかありませんから、常時自転車操業状態なのです。雨が降って洗濯物が滞ると新鮮なパジャマが着られない。…独り暮らしを始めて「生活」が身近なものになりました。今まで母親に任せていた料理やら洗濯やらを全て自分でこなさなくてはならなくなりました。それに加えて大学生ですから、勉強もしなくてはなりません。日々が慌ただしく過ぎ去り、心は流されるままです。あの頃、雨の日に抱いた生活を越えた感覚は日常に埋もれつつあります。悪いことではない。地に足をつけ、歩いてゆくことは悪くないのです。むしろ、そうでないと困ります。人は地に生う草や動物達を頂き、生きているのですから。けれど、寂しい。生きるために地を這うだけが人間なのか?この疑問が、僕の日常に埋もれることに対する危機感です。時には立ち止まり、空に思いを寄せることができる人間でありたい。それはどんな形でも良い。スポーツ、思索、電脳遊戯、創作。ただし、これらに没入して日常から浮いてしまうのは良い結果をもたらさないでしょう。たとえ自分が良くても他人を不幸にする。…いつもどこかに余裕を持って、生きていきたいものです。
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