桜吹雪

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 ゆっくりと此方を向いたのは、眼鏡をかけた二十代半ばくらいの若い男だった。  彼はおもむろに口許に片手をやって、私たちに声をかける。 「そこの二人、あと三分以内に教室行かなきゃ遅刻だよ!」  見かけよりも、少し低い独特の音程が、不思議と耳に馴染んだ。 「やっべ、先公か。走るぞ、サク!」  大和が私の右手を掴んで走り出す。自然と私も走ることになる。 「ちょっ、早い」 「遅刻したくねぇんだろ!」  相変わらず強引だ。  無気力気味の私には、これくらいが丁度良いのかもしれないけど。  校門をくぐり抜けた所で手を離され、私たちは息を整えた。  体育はほとんど見学ばかりで真面目に受けていないから、走るのは久しぶりだ。そんなに距離はないのに、運動不足のために肺が痛い。 「はい、セーフ。もうすぐ予鈴ですから、本鈴までに教室に行って下さいね」  にっこりと、眼鏡の向こうで微笑まれる。  私は息切れしながらそれを見上げた。  私の息が整う前に、大和がまた私の右手を掴んで歩き始めた。今度は少し歩幅を狭めて、私に合わせてくれる。 「あ、待った」  先ほどの男が、私の空いている方の手をとる。  長い指が、髪に触れた。 「花びら、ついてますよ」  彼の手には、一枚の桜の花弁。何故かそれを渡された。別に捨てればいいのに、変な人。 「この学校の桜、綺麗ですね」 「……私、桜は嫌い」  そう返せば、少し意外そうな顔をされた。  この人、目をまるくすると、少し幼く見えるんだな。  ふと、鐘が鳴り響く。  私は受け取った花弁を風に流した。 「すぐ本鈴だから、もう行きます」  私は彼に背を向けて、大和と並んで歩き出す。  少しだけ、いつもより鼓動が早く感じたのは、きっと気のせい。  もしくは、走ったせい。  だって、それ以外は私の体は正常だったから。
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