桜の頃に

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春の風は何とも生暖かい。 まるで、温かい布団にくるまれて夢を見ているときのようだ。 そんな中を、フワフワとした気持ちで歩く僕の前に、見覚えのある人影を見つけた。 僕は見失うまいと、少しだけ歩調を早めて距離を縮めた。 すると、その人は不意に僕からほんの数メートルの所で振り向く。 (えっ…?) それは紛れもないもう一人の自分だった。 「怖いって思ってる?」 彼が尋ねた。声もまるで僕そっくり。 僕が無言でいると彼は笑った。 これはドッペル何とかというものだろうか。見た者は近いうちに命をなくすという…僕は死ぬのか? じんわりと冷や汗を流す僕に彼は言う。 「僕は君の分身。いつもは君の中にある。でも今日は訳あって姿を見せることになった」 「訳って…何だよ」 「さあ。僕はただ伝える事があって来た」 彼は指差した。その先にいたのは僕の彼女、瞳。 ベンチに座っている彼女は泣いていた。 「どうした…?」 隣に腰掛け、呼びかけるが返事はない。 瞳は携帯を取り出し、それを握りしめたまま泣き崩れた。 「何があったんだよ一体!」 「サヨナラ…」 瞳は呟くと、携帯から僕のアドレスを消した。 慌てて瞳の手をとる。しかし…僕は二度と彼女に触れることはできなかった。 蒸気に触れたときのように、ふわりと通り抜ける手と手。 僕は気づいた。 そうか、僕は死んだんだ一年前に。 同じように、桜の散るこの季節に… 泣いている彼女の傍らで、ただ呆然としていた僕は、分身だと言った彼を思い出し、振り返った。 しかしもうそこには、春風に舞う花びらだけしか残されてはいなかった…
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