はこぶね

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タクシーの中で僕は外ばかり見ていた。世界と人間の楔になった君、この世でたったひとりの君も、11人の歴史しか救う事ができない。生命という歴史に終止符が打たれる時、人間はどの動物よりも拒絶感を示す。単純な痛みや未知への拒絶、自分の限界を思い知らされる事への拒絶、今触れられるもの、そして既に触れられないものとの別れまで拒絶して。そうまでしてどうしてこの世界にいたいのか、僕には見当が付かなかった。生きていたって何も手に入らない。ただ面白いだけではつまらない。状況がどんなに満たされても、気付いた僕が満たされる事はないし、無かったのだ、一度も。 僕は中年女性にお礼を言って、いくらか落ち着いた君を家に入れた。今の状態の君を家に返す訳にはいかないと思って自分の部屋に連れてきたのだが、これで良かったのかどうかは酸素も窒素もそこらじゅうで見ているくせに教えてくれなかった。 僕が用意したコーラも、お菓子も、どれも一人分しか減らず、聞こえてくるのは近所で吠えるのを仕事にしてるバカ犬の声くらいだった。 君は座り込んだままずっと顔を強張らせていた。僕の方からは横顔しか見えなかったが、その瞳に落ちた暗闇が君の表情をすべて食べてしまったのがわかった。もうそろそろ母親がパートから帰ってきそうな時間になって、君は漸く口を開く。
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