18人が本棚に入れています
本棚に追加
ここまでの間に靴べらは東急ハンズの袋にしまう。あとは次の路地(ケンタッキーフライドチキンの手前だ)を曲がり道玄坂を逸れ百軒店へ入る。
ビジネスバッグからダサいジャンパーと折り畳んだテニス用リュックを取り出し、スーツの上着と、靴べらと、ビジネスバッグを放り込む。ヨネックスの白いキャップをかぶりグレイのジャンパーを羽織る。リュックは片掛けに背負う。それらを歩きながら行う。
二、三回、角を曲がるついでに「いかにも」なスポーツサングラスを掛ければ、先ほどまでの紺のスーツに茶色の安いファブリックのカバンを提げた、うだつの上がらない会社員風中年男は居なくなった。
あとにはセンスの悪いテニス好きのオジサンが居るだけだ。ちょっと平日の渋谷には場違いだけれど、桜丘町のテニス・ハウス・エディに行こうとして、方向を間違えたといった風情を装いビルとポケット地図帳を眺めておけばいい。なんなら制服警官に店の場所を訊ねたっていいくらいだ。
まだ、サイレンは聞こえない。救急車もパトカーも「しん」と息を潜めている。
ホテル街やライブハウスやらの通りを蛇行して、ぐるり。彼は渋谷駅に戻った。時刻は17時を過ぎていた。
そこには『シアワセ実現党』のTシャツを着た若者たちが、不器用にビラ配りをしていて、人々はまるで難を避けるように急ぐ。雑踏は変化を止めない。
何気なく振り仰いだ 109ビジョン。画面に「マイケル・ジャクソン、急死」のテロップ。
夏の陽はまだ暮れず、やがて遠くサイレンの音。
藍毅に罪の意識はない。彼はひっそり確認する。
「コレは、復讐なのだ」
ビルというビルの巨大モニターに「今夜はビート・イット」のビデオが流れ、そこでは彼が―― Just beat it,――とリフレインを繰り返し、絶頂期の彼のダンスを、もう、死んでしまった彼が踊っていた。
最初のコメントを投稿しよう!