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駅に向かう時、いつもすれ違う女性。
彼女の伏し目がちな瞳はいつも物思いに耽り、その歩みはけっして、今の人生に満足している、それには見えなかった。
僕は何故か彼女のことが気に掛かり、いつも、すれ違いざまに目が合わないか試していた。
ある時、わざとハンカチを落としてみた。
後ろを歩いていた、おばさんがにこやかに、落ちたことを教えてくれた。
またある時には、彼女の姿を確認してこちらに向かってくる前に、解けてもいない靴紐を直すふりをしてみた。
さらにある時狭い道では、彼女とすれ違う前に立ち止まり、道を譲ることで小さく自分をアピールしてみようとした。
…残念ながら、彼女には何の変化も見受けられなかった。
10日程過ぎたある夜、突然の激しい雨で、駅からの行動を決めかねている彼女を見かけた。
僕はとっさに歩み寄り自分のさしていた傘を彼女に押しつけてみた。
『良かったら使ってください。』
彼女は一瞬ためらいの表情を見せたが、僕が折畳みの傘も持っていることを示すと、『ありがとう』と受け取ってくれた。
僕は彼女のわずかに恥ずかしさの入り交じった微笑みが嬉しくて、勢い良く雨の中に駆け出すと、彼女が思いのほか、大きな声で僕の背中に言葉を投げ掛けてきた。
『あの……今度、またすれ違う時にお返しします!』
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