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「名前の無い歌なん――」
「あなたは、誰?」
ニコの言葉を遮って、静寂に包まれた森の中に少女の澄んだ声だけが響いた。いきなりの少女の言葉にニコは戸惑う。
「ああ、自己紹介がまだだったね。僕の名前はニコって言うんだ。君の名前は?」
「………………」
少女は何も答えない。まるでニコには見えない存在の言葉を聞いているかのように、目を閉じて耳を澄ましているようだった。
ニコが首を傾げて数歩近付くと、少女はそのままの状態で口だけを開いた。
「私の名前は、ユーノ。あなたはどうしてこの森に来たの?」
「恥ずかしい話なんだけど、仕事で失敗しちゃって。無我夢中で逃げてたらいつの間にかこの森に入ってたんだ」
ニコの言葉を全く耳に入れていない様子で、
「――来ないで」
ユーノと名乗った少女がポツリと呟いた。もちろんニコに聞き取れる筈もなく、怪訝な表情を浮かべる。
「……え?」
「来ないで、って言ったの。私、町の人間は嫌いなの」
ユーノはニコを一瞥すると、再び踵を返して森の中に消えた。
ニコは一体何が何だかわからなかった。美しい歌声に誘われて来てみたら今度は完全に拒絶反応を示されて。ただ混乱するばかりだった。
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってよ!」
ふと我に返るとユーノの後を追い駆ける。幸いにも獣道のような細長い通路があったため、特に迷うことも無くユーノに追い付く事ができた。と、同時にニコは口を開く。
「どうして町の人が嫌いなの!?」
ユーノはややうんざりしたような口調で、
「あなたしつこいのね。答える義理なんて微塵もないわ」
「そ、そんなこと言わないでさ――」
グウゥゥー。
虫が鳴いた。雑草の中からでもなく、木の上からでもなく、ニコの腹の中から。
ニコは今朝起きてから一度も食べ物を口に運んでいなかった。二日前に買い溜めした食料が丁度底を尽いたため、食べる物が何もなかったのだ。
ニコの顔が一遍して赤くなる。
「あ、あはははは……」
「…………」
ユーノは軽く溜め息をついた。その仕草はニコの羞恥心を煽るのに十分過ぎるほどの効果を持っていた。
「……付いてきなさい。そのお腹が満たされたらすぐに立ち去るのよ」
彼女の口調は実に面倒臭さを醸していた。だが、ニコは赤面しながらも考えを改めていた。
冷たそうな印象を受けたけど、本当は優しい人なんだな、と。
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