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立派な口髭を生やした温和そうな中年男性。高級そうな財布がお尻のポケットから顔を出している。ニコは何の躊躇いも無く獲物に向かって、擦れ違いざまに男性のポケットから財布を抜き取った。しかしそれはあまりにも軽率過ぎた。その瞬間、男性はニコの肩をむんずと掴み、自分の方へと引き寄せたのだ。爆発しそうだった感情は冷水で浴びせられたように一気に消沈し、額には冷や汗が流れ始める。
「それは私の財布だが、もしかして落としてしまったかな?」
男性の鋭い瞳がニコを突き刺す。
「前々からスリの被害が続出していてね、なかなか犯人を見つけられなかったところなんだ」
その言葉が男性の口から発せられると共に、ニコの目は大きく見開かれた。持っていた財布が手をすり抜け地面に落ちる。この男性はニコが最も注視しなければならなかった人間なのだ。
「う、うわああぁぁぁ!」
ニコは男性――改め警官の腕を無理矢理解くと身を翻して全力逃走を始めた。背後から聞こえる怒声と追い駆けてくる足音。それらはニコの焦燥感を掻き立て、平常心を損なわせる。
ニコは何も考えられなかった。ただ、逃げろという本能が体を突き動かしているだけだ。先程走り始めたばかりだというのに、既に彼の心臓は限界に近付いていた。おそらく感情の急激な変化による負担が大きかったのだろう。
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