第一章

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 ニコにとって今日は人生一番の不幸な一日のようだった。スリをしようとして誤って町の川に落ちたことも、一日中食事にありつけなかった日も、今日に比べればまるで蚊に刺されたようなものだ。これまで経験した出来事の中で、この死と隣り合わせの状況に勝るものはない。  ニコは魔女と出会った時は必ず殺されるだろうと予想していた。この森に誰も近寄らないのは魔女に殺されるからだ、と自身の中で結論付けて、そのささやかな疑問に納得していた。 もちろんそれはニコの想像でしかないが、何しろ今のニコには考え直す余裕が無い。森中から注がれる不気味な視線からただ逃れようと必死に足を動かすことしか頭に無く、そして何よりも、死に取り付かれた状態では正常に思考が働かないのだろう。  夢中になって走り続けているニコは、ふとどこからか美しい歌声が聞こえたような気がした。聞き間違えたのかと思って、立ち止まってもう一度耳を澄ませる。 やはり微かだが聞こえた。 どうやらニコが向かっている先からのようだ。ニコは魔女の事や動物達の視線の事などすっかり忘れて、聞き惚れたように静かに歌の音源へと近付いていく。 徐々に歌が大きくなって、そして次の瞬間木々で少し窮屈だった空間が丸く開けた空間へと変わった。
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