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「皆さん、お疲れ様でした!」
疲れを感じさせないイベント責任者の歯切れの良い声が、イベントの成功を物語っていた。
小さなテーブルに並べられた、申し訳程度の菓子と数種類の清涼飲料水が、打ち上げとは言え、まだ勤務時間中だと教えてくれる。
途中、何度も化粧直しをしたせいか、少しも薄れていないメイク顔の雛子は、他のスタッフ達に「素」の笑顔を振り撒いていた。
その人だかりの中に、先程の男性を見付けたが、会社の正社員達に囲まれたその男性の存在は、契約社員の雛子にとっては少しばかり遠くに感じた。
その心理的な距離に、自分の微かにそわついた気持ちを諦めかけた時、男を囲む輪の中から自分を呼ぶ声がした。
「柏原さん!ちょっとこっちにいいかな?」
雛子の気分に妙に合致したその声に、スタッフらしい元気な声で応えると、滑る様にスムーズな振る舞いで、人だかりに向かって歩み出る。
「何でしょうか?」
「こちら、販売促進部の片山部長。」
「部長、こちら、柏原さんです。」
仕事で良く見掛けるが、名前もよく知らない男性がそれぞれを紹介する。
「柏原さん、片山部長が今日の君の仕事振りに感心されててね。売上も君が断トツだったしね。」
雛子にしてみれば、イベントの度に投げ掛けられる、代わり映えのしない評価であるが、片山の存在が雛子をいつものそれとは違う気分にさせいた。
(でも、あの視線は「私」ではなく「私の仕事」に向けられてただけなのかな。)
本来なら喜ばしい称賛に、小さな失望で味噌をつけた雛子は、周囲には気付かれない程に微妙でぎこちない笑顔を見せる。
笑顔の先にいる片山は、雛子の無言の戸惑いに、優しい年配者の眼差しで応える。
その和かな眼差しに、自分の身の回りの人間にはない憂いを感じとった。
(優しいのに哀しい色。)
(部長くらいになると、色々なことがあるんだろうな。深い瞳だな。)
いつもの雛子に似つかわしくない深読みが、更に片山への関心を呼び起こしそうになる。
「柏原さんだね。今は我が社も実力の時代だ。君の様な優秀なスタッフは歓迎だよ。」
高まる片山への興味に、またもや水を差す平凡過ぎる片山の台詞に、雛子の中に天の邪鬼な「意地」が芽生え始めた。
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