プロローグ

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球場は異様な雰囲気に包まれていた。それは当時、テレビの中継越しに試合を観ていた私にもはっきりと感じられた。観客はもはや声援を投げるのを止め、野次の方が上回っている。私はにわかにも信じがたかった。今、目の前で起こっている事実が。 (こんな筈が……ない。あいつが、こんなことを……) 祈るような気持ちで、私は自室のテレビ画面を今一度見つめた。中継映像は、ダイヤモンドの中心、マウンドに立つ一人の男を映し出している。目深に野球帽を被ったその男の表情は伺えなかった。もしかしたら、ポーカーフェイスを装おうとしていたのかもしれない。 今、球場内の罵詈雑言はすべて、この投手へと向けられていた。 この日……201×年7月某日、強豪球団であるカイザースの本拠地・収容人員五万を誇る猪狩ドームにて開催された、プロ野球オールスター・ゲーム。 失墜した現代野球界の人気を取り戻すべく、NPB(日本野球機構)がこのオールスターに多くの「起爆剤」を仕込んできたことは、前々からマスコミなどが取り沙汰していたために知っていた。 その起爆剤の第一は、プロ野球第三リーグが登場して以来初のオールスター・ゲームへの参加を果たしたという事実である。数年前に登場したばかりの第三リーグ「レ・リーグ」は、当初は既存のセ・パとの日程の兼ね合いや、いちプロリーグとしてのキャリアの浅さから、オールスターへの参加は見送られてきた。それが選手会や野球ファンらの強い要望によって、この年からいよいよ参入を実現させたのだ。これによりオールスターはセ・パ・レの三つ巴体制となり、三者の総当りにより三試合の開催が決定されることとなったのだ。 そしてもう一つは、この球史に残るであろう記念すべき一戦を、NPBが天皇を招致したうえでの「天覧試合」へと仕立てたことにある。 プロ野球史においては一九五九年、後楽園球場で読売ジャイアンツ対大阪タイガースのいわゆる「伝統の一戦」が天覧試合として催されたことが始祖である。当時の天覧試合が催されたその背景には、卑しい職業野球と揶揄されたところから始まったプロ野球が、日本を代表する人気プロスポーツとしての地位を得たことを示すという球界全体の意図があった。
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