第二幕 ~懺悔~

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「マリネリス保安局の者です、失礼ですが」 細い男が振り返り、エリナを認めて深々と会釈し、自分のIDを表示した。 生命工学センター、パク・ソンハ主任研究員。 三十代後半か四十代、小さく大人しげな目、すこしえらの張った細い顔、産まれてこの方諍いごとに係わったことのないような雰囲気の男だ。 次いで、車椅子の人が、自らそれを操作し向き直る。 輝くような白銀髪、すっかり肉も油気も抜けた老人の顔だが、青い瞳だけは往年の輝きを残しているように見える。 枯れ枝のような指が少し動き、彼のIDが表示された。 生命工学センター名誉所長、ジェイコブ・エプスタイン。 エリナは思わず息を呑んだ。歴史上の人物が今、目の前に居る。 火星が今のような緑なす星に生まれ変わったのは、ほとんど彼の功績だといっても過言ではない。 低い重力や平均気温でも、強い紫外線でも、確実に根をはり成長し、収穫がみこめる作物を生み出したのは、彼が人生のすべてをささげ成し遂げた一連の発見や発明のおかげであることは、火星生まれのものなら誰でも知っている。 「失礼しました、博士」 思わず反射的に、一歩下がり最敬礼。 『いいえ、結構です。申し訳ないのはこちらのほうで、こんな夜にブラブラ出歩くとは、不審者扱いされても文句言えません』 そういったのは博士の方かと思ったが、それは生身の声でなく、InPNTの音声通信だった。 「申し訳ございません、博士は三年前、肺炎をやっちゃいまして、その際声帯を外したんですよ、人工声帯を付けようかと医者から言われたんですが・・・」 それこそ申し訳なさそうにパクが言うと、博士が続ける。 『もう火星年齢で60手前ですからな、今更なんかまた入れるなんと考えたら面倒くさくなりましてなぁ、で、断ったんです』 と、笑った。
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