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パーソナル・コミューターのキャノピーが、一瞬で桜色に染まったのは、カセイ市生物工学センターのメインゲートをくぐって直ぐの事だった。
見渡せど、見回せど、目を凝らせど、見えるのは満開の桜、桜、桜。
広大な敷地内に十万本もの桜が植えられているとは聞いていたが、実際に目にするまではその圧倒的な艶やかさを想像できずに居た。
それを、今、目の前にしている。感嘆の声すら出ない。
火星に地球産の植物を根付かせる実験のために、なぜ桜が選ばれたのかは、その研究を推進したジェイコブ・エプスタイン博士のみ知ることだと言うが、詳しい小理屈はこの美の飽和の前では無意味に思える。
タルシス三山からの豊富な湧水を集めて流れるカセイ川河口の街、カセイ市におかれたこのセンターは、火星最大の街シティ・マリネリスと共に祝賀会場に選ばれていたが、なるほど、理由の説明は不要だ。
パーソナル・コミューターが止まったのはセンターの管理棟、そこに臨時警備本部が置かれている。
州保安局が送り込んだ警備用ロボットによるセキュリティチェックを済ませ、内部に入ろうとしたとき、場違いはほどの大声でエリナを呼ぶ声が聞こえた。
「デッカード先輩!お早いですねぇ!!」
撫で付けられた黒い縮れ毛、嫌味なほど透き通った白目、小柄な身体を濃紺のブレザーに包み、胸元には毒蛾のような悪趣味きわまるボータイ。
チャンドラ・ナガルカッティ、入局が一年遅い副保安官、エリナの”人間”の相棒だ。
そして、その背後でふんわりと微笑み静かにたたずむ美少女。
春の日に輝くローズ・ゴールドの髪、エメラルドグリーンの瞳、フリルたっぷりの桜色のワンピース、SA-2501。チャンドラの相棒。勿論、アンドロイドだ。
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