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犯人の都井睦雄(とい むつお)は1917年3月5日、岡山県苫田郡加茂村大字倉見に生まれた。2歳のときに父を、3歳のときに母を、ともに肺結核で亡くしたため祖母が後見人となり、姉とともに祖母の元に引き取られた。6歳の時に一家(祖母・姉・都井、戸主は都井)は祖母の生まれ故郷の貝尾部落に引っ越した。
都井家にはある程度の資産があり、畑作と併せて比較的楽に生活を送ることができた。祖母は自身の体調不良等を理由に、都井に家中にいることを要求したため、都井の尋常高等小学校尋常小学校と高等小学校を一校に併置した学校を「尋常高等小学校」と称した。への就学は1年遅れ、就学後もたびたび欠席を余儀なくされたが成績は優秀だった。その後担任教師に岡山市内の中学校(旧制)への進学を勧められたが、祖母に反対されたために断念せざるを得なくなった。
都井は、尋常高等小学校を卒業直後に肋膜炎を患って医師から農作業を禁止され、無為な生活を送っていた。病状はすぐに快方に向かい、補習学校(後に青年学校に改組)に入学したが、姉が結婚した頃から徐々に学業を厭い、家に引き篭もるようになっていき、同年代の人間と関わることはなかった。一方で、自身が子供向けに作り直した小説を近所の子供達に読み聞かせて、彼等の人気を博した。さらに、近隣の女性達とこの地域での風習でもあった夜這い等の形で関係を持つようになっていった。
しかし、都井は事件の前年、1937年に徴兵検査を受けた際に、結核を理由に丙種合格(実質上の不合格)とされた。その頃から、都井はこれまで関係を持った女性たちに、都井の丙種合格や結核を理由に関係を拒絶されるようになった当時の女性たちの間では甲種合格で徴兵される男性をもてはやす風潮があった。
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