(3) 犯行準備

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 都井は事件の数日前から実姉を始め、数名に宛てた長文の遺書を書いていた。更に自ら自転車で隣町の加茂町駐在所まで走り、難を逃れた住民が救援を求めるのに必要な時間をあらかじめ把握しておくなど(当時、西加茂村駐在所の巡査は出征で欠員中だった)犯行に向け周到な準備を進めていたことが後の捜査で判明している。  自分の姉に対して遺した手紙は、  「姉さん、早く病気を治して下さい。この世で強く生きて下さい」 という内容である。  1938年5月20日午後5時頃、都井は電柱によじ登り送電線を切断、貝尾部落のみを全面的に停電させる。しかし村人たちは停電を特に不審に思わず、これについて電気の管理会社への通報や、原因の特定などを試みることはなかった。  1938年5月21日1時40分頃、都井は行動を開始する。詰襟の学生服に軍用のゲートルと地下足袋を身に着け、頭には鉢巻を締め小型懐中電灯を両側に1本ずつ結わえ付けた。首からは自転車用のナショナルランプ手提げハンドルとブラケットがついている前照灯にもなる懐中電灯。松下電器産業製なのでこの通称がある。を提げ、腰には日本刀一振りと匕首を二振り、手には改造した9連発ブローニング猟銃を持った。
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