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田咲さんと出逢ってもう少しで一年になるけれど田咲さんが泣くのを見たのはこの時が初めてだった。
田咲さんの涙は肌をつたうと消えるのに、顎の下では再び滴を作って落ちていく。
こんなしわしわの田咲さんから振り絞るように流れていく涙がもったいなくて、私は余計なところに落ちていく涙を手で全部受け止めた。
「田咲さん泣かないで、
羊羹切るから食べよ」
私は言った。
田咲さんは泣き止むことなく何度もうなずいて言った。
「すいちゃん、
すいちゃんから見たら私なんて、ただのおいぼれた年寄りだけれどもね、
私にとってすいちゃんは畑の野菜よりもずっとありがたくて尊いものだから、すいちゃんが優しくしてくれると怖くなることがたくさんある、
こんな種もまかない幸せがあってもいいのだろうかとか、
届くのに掴めないこの幸せが消えてゆくことに私は堪えられるのだろうかとかね、
そんな事を思うと、
狭心症でもないのに年甲斐もなく胸が苦しくて、
ああ、
私は何を言ってるんだろう」
田咲さんは目をつむった。
つむった目の端っこからさっきよりたくさんの涙が今度は肌をつたわずに落ちていく。
田咲さんは私と別々になる未来のことを、私よりずっと近い位置で感じていたのかもしれない。
その未来を当たり前のように握りしめ、いつでもその覚悟を決めながら私と一緒にいるのかもしれない。
それは川に落とした斧が金でも銀でもないと言っているみたいに思えた。
そして、その古びた斧が私の大切な大切な斧ですと、錆びた斧を受け取って小さな背中を向けながらせっせと畑を耕す田咲さんの姿が目に浮かんだ。
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