蒼天穹 ~ひと夜の月と子守唄~

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  「なんのお話?」 「……遠い遠い、昔の話だ。  僕たち精霊がまだ人間だった頃の、人間たちの歌……」  少年はゆっくりと息を吸い込むと、まだ高いが美しい声で歌いだした。 『森はざわめき   風たちはうたう』 『旅人の歩みは緩めども   商人の馬車は急ぎゆく』 『くろがねの馬車は   大地をかため』 『ふりかえれば   横たわる荒野』 『時は大河の如く   あるいは光の速さで』 『過ちをつつみこみ   傷を撫で癒していく』 『風に舞う砂よりも軽き   数多のわれらののぞみ』 『踏みしだかれた   花まぼろしと』 『蒼天穹の   涙に滅ぶ』 『陽炎の揺らめき一つ』 『ひとはうたかた   現世はゆめ』  ――しずかな歌にあわせ、焔のなかに次々と幻が浮かび上がっては、消えていく。  かれら精霊の歌には、歌や詩にこめられた思いや情景を、直接的に伝える力があるのだ。  うたの終わりと同時に、ぱちんと薪がはぜた。どうっ、とひときわ強い風が吹き、焚き火を大きく揺らす。  いつのまにか少女のまぶたはおろされ、小さな胸が安らかに上下していた。  肩に頭をもたせかけていた妹の体を、起こさないようにそっと抱きかかえ、自分たちのテントのなかに入る。  それから寝床に、大切なものをいとおしむ仕種で静かに横たえた。  口元をほほえませながら薄い布団を体にかぶせてやり、ひととおり寝顔をながめてからテントを出て、再び焚き火番を続ける。  そんな一夜を、蒼い月が優しく見下ろしていた。 fin.  
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