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男は妃から部屋の様子へと目をうつし、それからまた妃の指先を眺めて、溜め息などつくのでございます。
「山々を駆け回るそなたは、さぞ美しかったろうに」
と。
妃は何かを訴えるように、涙ながらに唇を動かしましたが、幾年も泣き続けた喉からは、既に声が失われております。
男はその手にそっと触れ、
「月が隠れる。また会いにこよう。その時はどうか、顔をあげておくれ」
そう言って、小さな窓よりこぼれ落ちる月光に、溶けるように姿を消したのでございます。
もと通り暗闇に取り残された妃は、夢でもみたのだと思い込んで眠りにつきます。
しかし翌朝目覚めてみれば、指先の傷がきれいに治っていたのでございました。
それからというもの、男は月の光の明るい晩に、妃を訪れるようになりました。
妃は月夜を心待ちにするようになり、少しずつまた、もとの美しさを取り戻してゆきました。機織りの腕は相変わらずで、声もでないままではございましたが。
王は妃の様子を聞いて、妖にたぶらかされたか気が触れたと思い、何があったか突き止めようと思われました。
そこでとある月の綺麗な晩、妃を自分の部屋に呼び寄せたのでございます。
何も知らぬ妃は、いつ部屋へ戻れるかとそわそわしております。王はしかし、決して妃を帰そうとはいたしませんでした。
そのうち月が高くなり、光が王の部屋に差込みます。するとどこからともなく、あの螺鈿の髪が現れたのでございます。
男と王は妃を挟んで向かい合います。声の出ない妃は、ただただ不安そうに二人の男を見上げておりました。
「貴様が妃をたぶらかした妖か」
王が剣に手をかけて言いますと、男は哀しそうに眉をひそめます。
「そなたの仕打ちに涙しておるその傷を癒しただけの事。たぶらかすとは何事か」
「誰も入れぬこの部屋に入り込むなど、人のできぬ所業。貴様がどんなまやかしを使ったかは知らぬが、妃は騙されておるのだろう?」
「左様、確かに我は人にあらず。しかしそれがなんの理由となろう? 妖ならば全てが人に仇なすものとでもおっしゃるか、王ともあられる方が?」
王の言葉に淀みなく答えて、男はふわりと舞うように前へ出ます。月光を弾く体が前へ出ると、王はますます男をにらみ付けて吠えたてました。
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