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 ある社会の中に生きること、ある世界の中に生きること、ある宇宙の中に生きること。  規模や範囲はどうあれ人間も生命である限り行動の起源はいつも“欲求”から始まります。  欲求の正体が“全体”の意思(若しくは偶然)から生まれた本能というシステムに基づくモノであるならば、各個体の意識は、アイデンティティーを持たない、ただのそのシステム由来の現象の一部となります。  しかし、欲求の正体が各個体の身の周り(内も含む)の“環境”から与えられるモノであるならば、各個体の意識はアイデンティティーを持ち得ます。 また、その際に現象は“自然”とは切り離なされ概念化の下でバラバラになって認識されています(例えば意識を持つ主体が“ヒト”である場合の概念は“自然”に対して“人工”)。  何故ならこの場合、生命体の一個一個が現象を“起こす”主体となっていると考えられているからです。  前者の考え方は東洋的、後者の考え方は西洋的だと思います。 そして、どちらの考え方も日常に蔓延しています。  しかし、実際はどちらが“欲求”の正体を言い当てているのでしょうか。
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