イザヤ 第一章

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 河を渡る六人乗りの舟が五隻、次々と岸から離れた。向こう岸までおよそ二千メートル。流れは極めて遅いが、水が泥のように濁っており、廃棄物と糞尿の混ざった、心なしか目に見えるほど濃密な激臭が水面を覆っている為、乗員達は前例の無い転覆を常に恐れていた。    自衛軍に入隊して一年と経たないイザヤは、先頭の上官に合わせて力強く櫂を漕ぎながら、空気が鼻に入らないように口を開いたまま、対岸の森に潜む野生人を思い描いていた。    金持ちの家には大抵一人や二人、奴隷として置かれており、訓練でも本物に触れた事があるが、野生の姿を見るのはこれが初めてだった。    彼らは「悪霊に取り憑かれた者」という意味で、ドリタ人と呼ばれている。    初めに教えられた時は、ドリタ人が痩せこけていて、生きているのか死んでいるのか判らないような、暗く気味の悪い顔立ちをしているせいだと思った。    が、市内で見かけるドリタ人は全て、専用の施設でひどく衰弱させられた上、食料をほとんど与えられずに酷使されているもので、とどのつまり、あの気色の悪い外見は、文明人に捕獲された結果であり、彼らの生まれ持った特徴ではなかった。    名前の由来が他にある事を知ったのは、それから数年の後だった。    イザヤは当時十三歳、平和市北部へ水を買いに行った時、偶然、どこかから脱走して来たドリタ人を目撃した。    骨と皮まで痩せ衰えているのに、不思議に足は滅法速い。    周囲の市民は彼を異様なまでに怖がり、手荷物を投げ捨てて逃げ惑った。大の男までが悲鳴を上げていた。    そこへ、石と粘土で造られたあらゆる家の陰から、高価そうな鋼の剣を携えた自衛軍の騎馬隊が出現し、瞬く間にドリタ人を包囲した。
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