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あの時は「死なない人間がいるものか」と義憤を奥歯に噛み締めながら水を買って帰ったが、今思えば、滑稽な事を言っていたのは自分の方だったと、イザヤは振り返る。
女の言葉は単なる差別や毛嫌いの表れではなかった。
ドリタ人は確かに「死なない」。現にドリタ人は人間では(あるいは生物ですら)ないとする説もある。
十三歳の時に見た哀れな男は、あの後も変わらず平和市の建築家に使われている。
自衛軍に入るまで、ドリタ人の事を考える時、自分は頭がおかしいのではないかと思う事がよくあった。死人が蘇ったという事実を信じている面も、誰もが当たり前のように「ドリタ人は死なない」と言うのを信じ切れない面も、全てがあやふやで、ドリタ人に関するどんな噂を信じても、誰かに騙されているような心持ちになった。
しかし、軍の演習で実際にドリタ人が生き返るのを見せられて、何年も迷い続けた迷路からようやく解放されたのだ。
イザヤはあの日騎馬隊がやっていたように、仲間達と協力してドリタ人を捕らえ、右の腰に括り付けた短刀(首切り専用に作られており、柄が太く、刃は丈夫で、峰に細かい刻み目がある)で、泣きながら首を落とした。
これは、ドリタ人を安全に連れ帰る為の正しい手順だったのだ。
彼らは本来、極めて凶暴である。人を骨ごと食い、木製の道具を素手で壊す。皮膚自体も頑丈で、一般人の力では勢いをつけなければ剣で刺す事も難しい。
訓練用のドリタ人も平和市の奴隷とおよそ変わらない程度に痩せていたが、それでも未熟な訓練生には恐ろしく手強い相手だった。騎馬隊が冷や汗をかいていたのも無理は無い。
教官はイザヤ達に死体を鎖と枷で徹底的に拘束するよう教えると、首の切り口をはめ合わせ、柱に縛り付けて固定した。
こうしておけば、自然に首が繋がり、息を吹き返すのだと説明した。
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