殺し屋 天条条一

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「……天条君、分かるかしら?」 「……?」 「私はもう、とっくに死んでいるの」 胸の辺りまでの高さのフェンスに肘をつき、佐伯は再び曇天を仰ぐ。ゆっくりと。滑らかに。 「事故以来、私の周りで聞こえるのは、綾乃という名前だけ。毎日毎日、綾乃綾乃綾乃綾乃綾乃綾乃綾乃綾乃綾乃綾乃綾乃綾乃綾乃綾乃綾乃綾乃綾乃綾乃綾乃綾乃綾乃綾乃。 私は千鶴。佐伯千鶴。それなのに、私は綾乃と呼ばれ続ける。 両親からも、隣人からも、親戚からも、友達からも、先生からも」 「…………」 「違うの、私は佐伯千鶴なの。 ……そう主張しようとしても、両親がそれを必死に食い止める。無かったことにする。 そればかりか、事故後一ヶ月近く家に軟禁され、催眠に近い教育を受けたわ。綾乃のような物静かな振る舞いを叩き込まれ、言葉遣いも注意された。屈託のない笑顔で、私のことを『綾乃綾乃』と呼び続ける両親。 ……毎日が苦痛で、気が狂いそうだったわ」 佐伯は唇を噛み締め、そう言う。 よほど辛い記憶なのだろう。少し離れている条一の位置からも、彼女の手が震えていることが分かる。 それにしても、空白の一ヶ月の真相は、そういうことだったのか。そこまで徹底的とは、一体何が佐伯の両親を駆り立てているのだろうか。 「一ヵ月後、ようやく学校へ行く許可が出たわ。でも、クラス名簿の名前は『佐伯綾乃』。持ち物に書いてある名前も『佐伯綾乃』。クラスメイトの呼び方も『綾乃ちゃん』。 誰も、私が綾乃だと信じて疑わず、誰も私が事故で死んだとされる千鶴だと夢にも思わなかった」 「……千鶴、さん……」 「嫌でも実感させられたわ。 佐伯千鶴は、もうこの世にいない。この社会から抹殺された。 ……居るのは、形だけの佐伯綾乃だけ。私は、とっくの昔に死んでしまった生ける屍なのよ」 佐伯は輝きと力の無い瞳を条一に向け、そして一言。 「だからこそ私は、死を望んだ」   
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