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絶句する条一を一瞥して、佐伯は、当時の状況を語る。
その顔に自嘲的な笑みを浮かべながら。
――――。
『何言ってるの、お母さん。私、千鶴だよ。綾乃は、私を庇って……』
『大丈夫、綾乃? 可哀想に。きっとまだショックで記憶が曖昧なのね』
『そうじゃないよ。本当に、私が千鶴なんだってば』
『馬鹿言わないの綾乃。私達はあなたの親なのよ? 間違えるはずがないじゃない』
『お母さん、おかしいよ。お願い。私の話を聞いて。私は……』
『どうしたの綾乃? あなたがそんなに喋るだなんて珍しいわね。まだショックで困惑している証拠だわ。今、お医者さんを呼んでくるから、ちょっと待っててね』
『待って。待ってよお母さん。聞いて、お願い。
綾乃は私を庇ってトラックに轢かれちゃったの。だから、私は……』
『いい?綾乃。落ち着いて聞いて。あなたのお姉ちゃんはね、……トラックに轢かれて死んじゃったの。あなたを助けて代わりに死んでしまったの。辛いわよね。分かるわ。お母さんもお父さんも辛いもの。でもね、認めなくちゃいけないの』
『違う、違うよお母さん。逆だよ。逆なんだよ。死んじゃったのは私じゃない。綾乃なの。私は千鶴なんだってば』
『もうやめなさい綾乃。辛い気持ちは分かるけど、そんな嘘をついても、きっと千鶴は喜ばないわ』
『だから、だから私は……』
『辛いけど、受け止めましょう。千鶴は死んじゃった。千鶴は死んじゃったの。あなたを庇って千鶴は死んでしまったの。もうこの世にいないの。この世にいるのは、妹のあなた。綾乃、あなたなの。千鶴じゃないの。綾乃なの』
『もう、やめてよ!おかしいよ!変だよ!間違えてるよ!
私は、綾乃じゃない!私は――――』
『綾乃は、そんな乱暴な口きかないでしょう!!』
――――。
「……その言葉の後、ベッドに横たわる私は、母親の手によって殴りつけられたの」
佐伯は思い返すように、自身の右頬を軽く撫でる。
「……そん、な……」
「信じられない? 私も、殴られた瞬間は信じられなかったわ。殴られたことなんて一度も無かったし、あんなに醜く歪んだ母親の顔見るのも初めてだったから」
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