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彼女が……佐伯千鶴が受けた苦痛。それは、想像するのもおそろしい。
彼女は、生きながらにして存在を否定されたのだ。自分ではない別の人間として存在することを義務付けられたのだ。
想像を絶する孤独と苦痛。
それならば、死を選ぶのも無理はない。
条一は、一瞬だが、そんな無責任なことを考えてしまった。
「本当なら、すぐにでも死という形でこの苦痛から解放されたかった。
でも、だからといって自殺をするわけにはいかなかったの」
「……なぜです?」
「形だけとはいえ、私が両親の溺愛する佐伯綾乃だから」
千鶴はそう言って、笑う。力なく笑う。
勿論、条一は彼女の言っている意味が分からないわけで。
「どういうことですか?」
「簡単よ。佐伯千鶴という存在を無かったものにしてまで、私の両親は佐伯綾乃の存在に固執した。
……それなのに、その綾乃が自ら死んでしまったら、両親のショックは計り知れないから」
「で、でも千鶴さんは、そのご両親に酷い仕打ちを……」
「それでも、私にとって大切な両親なの。私にとって、大切な家族なのよ。
だから、私が死ぬことで迷惑をかけることはしたくなかった。死にたくても、どうしても死ぬことができなかった」
そう言って、千鶴はどこまでも悲しそうな表情を浮かべた。
それは、見ているこちらが辛くなるほど、苦しげな様子。
条一が一人胸を痛めていると、千鶴は『でも、』と呟いて会話を続け始めた。
「――そんな時に噂で聞いたのが、天条君……『殺し屋』の存在よ」
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