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その男は、見るからにあせっていた。
眉間にシワをよせて、イライラと左足を揺らしハンドルを指でコツコツ弾く。
スパスパとタバコをふかしては、灰を灰皿に次々と落とす。
朝の通勤時間だけに、渋滞とまでは行かないがそれなりに車が走っている国道を、ひた走る。
片側二車線の道路を走るその男の車は、流れに乗れていない遅い車を、次から次へと抜いては、前に出るのを繰り返していた。
左車線を走ったかと思えば、すぐに右車線に移動する。
ウィンカーまたウィンカー。
ハンドルを回しブレーキを踏み、またウィンカーを出してアクセルを踏み込む。
男は車のダッシュボードに埋め込まれたデジタル時計に何度も目をやっている。
そして、それとは別に何度もスーツの内ポケットに手を突っ込み、光を反射して銀色に輝くそれを取り出し確かめる。
確かめると内ポケットにしまう。
独り言をつぶやいた。
「間に合うのかあ? 奴は時間に正確だからな」
前方、二つの車線を丸で並走しているみたいに微妙なスピードで走る二台の車。
越すに越せない。
そうしている内、信号に男の車は捕まる。
「糞っ!」
言葉汚く罵り、掌底でハンドルを打ち据えた。
「俺は奴に」
内ポケットに手をやる。
「こいつを突き刺してやらなきゃなんねーのに」
銀色に鈍く輝くそれ。
鋭角な部分に不用意に触れたら怪我の可能性も高いだろう。
そもそも人に向けるべき物では無いが。
信号が青に変わり、男の車も走り出す。
暫くの間、国道の右車線をひた走っていたが、幾つ目かの信号待ちで、右にウィンカーを出した。
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