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この優秀な高角砲を搭載した空母護衛の防空専用艦を建造しようとの計画案が、昭和13年9月に提出され、とりあえず六隻の建造が大蔵省によって承認されたが実際に決定されたのは昭和14年12月4日でした。
予算決定の遅さが、建造時期を大幅に遅らせる事になり、その後の戦局を間接的に不利に陥らせる事になったとも言われています。
予算決定により最初に建造されたのが秋月型駆逐艦のネームシップとなる「秋月」で、
昭和15年7月30日に舞鶴工廠で起工され竣工は昭和17年6月11日で、秋月型駆逐艦12隻の一番艦として完成しました。
しかしこの時既にミッドウェイ海戦で空母四隻を失った後でした。
もう少し早く建造計画が着手されていたならミッドウェイ海戦はどうなっていたのでしょうか?
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