1万分の鯨試験

6/7
前へ
/171ページ
次へ
「あの人はお隣さんだ。つーかお前、勝手にアポなしで来るなよ…」 「来なきゃ恐らく飢え死によ。感謝しなさいよ!しかも、見た感じバイトしてないよね?」 「当たり前だ。飯と金稼ぐ暇があれば、俺は知識を頭に叩き込む」 「死ぬぞ秋斗…にしても、あのワニ気持ち悪いね。何であんな覆面するんだろうね?」 あ…そう言えば確かに。黒子とはあんなに気軽に話しをしていたが、改めて指摘されると確かにそうだ。前に見た時、ワニと首の境目には何針か縫った痕もあったな。 「にしても面白いよね、武装って言う割には“鯨”って名前。何でだろう?」 「葬儀の基本だよ」 「えっ?」 「葬式の幕を“鯨幕”と言うんだよ。過去問にもそんな問題あったぜ」 「…あのさ、まさかと思うが…先程からあんたが開いている辞書って過去問?」 「ああ、しかも去年分のみ」 「無謀にも程があるわ…」 「言うと思ったぜ。それでも、試験は5年に1度きりだ。諦めてたまるかよ!」 それを聞いた途端、香織は台所で大爆笑をした。俺なんて世間から見れば、典型的な熱血バカの例だしな。香織は爆笑しつつも、着々と料理を完成させた。 「バカもそこまで極めたら神だわ。言ったからには、必ず合格の知らせよこしなさいよ。炊事洗濯は私がするからさ」 「つまり住み込みか?だったら断る!」 「そう、まあ良いわ。住み込みはしないけど、また料理を作りに戻るから。頑張りなさいよ」 「ああ、ありがとな」 料理を作り終えると、香織はある段ボール箱を置いて帰った。段ボールの中身は、俺の衣類と食料。そして、瓦礫の中にあった父の祭壇の欠片だ。祭壇を見た途端、幼い頃に聞いた父の言葉を思い出した。 “死ぬことは、決して悪い事じゃないし罪じゃない。二度と会えないが、決して眠った訳じゃない。旅立ちなんだ。故人の旅立ちを盛大に盛り上げ、霊柩車で旅のルートをサポートし、最後は三途の川の渡し守の所まで見送る。それが葬儀屋だ” 段ボールの中身を見た後、俺は台所の料理に気づいた。蓮根のきんぴら、卯の花、そして味噌汁。炊飯器にはご飯もセットされていた。試しにきんぴらを食べてみて呟く。 「父さんの祭壇か…ありがとな母さんに香織。でも、香織のきんぴらは味が濃いぜ…」 何故だか、俺の目から涙が流れ落ちた。より一層、後には退けない状況となった。
/171ページ

最初のコメントを投稿しよう!

9人が本棚に入れています
本棚に追加